「さよならの朝に約束の花をかざろう」を見て

一週間も前になるが、今更ながら「さよならの朝に約束の花をかざろう」を見た感想などを述べようと思う。



改めてブログという形式を取る事にした経緯だが、一言で言ってしまえば"思いつき"だろう。この作品には何か形で残しておきたいと思わせる何かがあったからだ。チラシの裏にでも書いておけ、って奴だが誰かしらの目には止まってほしいという気持ちが無いわけでも無かった。


この作品を語るに当たって自分がどういう視点で見ていたか、ということも踏まえておいて欲しいので軽い自己紹介でもしよう。


私は何かしらのコンテンツを受動的に消費する事が酷く苦手でアニメ、映画などは殆ど見ない。かと言って能動的に作品に触れているかと言ったらそういう訳でも無いのだが。ライトノベル、漫画という媒体の物に関しては一般的なオタクと呼ばれている人達並に触れているのではないか、と自負している。流行り物が嫌いで新しい物が好き。言わば「高二病」って奴なのだろう。当然流行り物を見たら好きになってしまうのだが。なのでやはり今回の「さよならの朝に約束の花をかざろう」に関しても流行り物という色眼鏡を通して見ている部分が大きい事は踏まえておいて欲しい。



さて、本題の「さよならの朝に約束の花をかざろう」を見た感想についてだが、良かったと思う。今までに無いぐらいに号泣した。友人と一緒に見に行ったが目が赤くなることなど全く気にせず涙をひたすらに流し続けた。

ここまでベタ褒めするなら「良かった」のそれだけでいいではないか。何故わざわざこうしてブログにするのか、と言ったらやはり高二病の性か、どうしても指摘したくなる部分があったからだ。



まず作品について理解を深めるために内容を軽く確認しておきたい。


おそらくテーマは「出会いと別れ」と言う奴だろう。少し発展させて「生と死」と言ってもいいのではないか。誰が見ても号泣する奴だ。

何百年の時を生きるイオルフの民の少女マキアと、親を失った少年であるエリアルの二人を通じて「出会いと別れ」というテーマを感じさせる作品だった。

マキアの友人のレイリアが連れ去られる所から物語が始まり、苦労しながら成長していく様を描いている。



私の気になった点だが、どうしてもこの作品は「別れ」と言う部分に重点を置きすぎているのではないかと感じた。まるで最初から別れるために出会ったのかと言わんばかりの展開に私は少し違和感を覚えた。当然二時間で人の一生を描く訳だから急ぎ足になってしまう部分もあるだろう。

作品として"ここは敢えて描写しないけど皆さんの想像にお任せしよう"と言う部分は多々あるはずだ。

ただこの作品に関しては若干なりの"ここは重要では無いので飛ばしても良いだろう"と言った雰囲気を感じてしまった。

それが積み重なった結果私には「結果重視の雰囲気映画」と言った印象が残ってしまった。それが好きな人も居るだろう。ただ私はそう言った細かい点を気にする性格を患ってしまっているのでどうしても素直に作品を見る事が出来なかった。

あの時代背景を扱う割には物事の結果に対する原因、過程が余りにもぞんざいな扱いに見えたのだ。

代表的な例をあげればレイリアの扱いなどが結果だけの描写しか無く、何故?と言った点を残した。

村が焼き討ちになっている件なども正直私には理解し難かった。帰る場所を失わせると言う結果のために何となくで滅ぼされたのだろう。

人外の力を以ってして国力を高めようと言う点はわかるのだが、バケモノ扱いしているかと思ったらレイリアを姫君として迎え入れた(奴隷同然の扱いではあったように見えたが)点も不思議に思う。

一番気になったのはマキアの成長があまり感じられなかった点だ。前半は母親になろうと努力する姿勢が描かれたが、後半になるにつれその描写があまり無いように見えた。

これに関しては完全に私の好みだと断言しよう。外見は少女のまま何百年を生きると言った設定がある上でこれは勿体ないと思う。少なくとも母親代わりをしていたミドと似た振る舞いをするシーンなどはあっても良かったのでは無いか。

とまあ、理解出来なかった点の指摘から私の好みの話になってきてしまったのでこの辺にしておく。


私は映像作品を作るようなクリエイティブな人間では無いし、様々な作品を見ているような人間でも無い。なので、ここまでの批評は捻くれたオタクもどきの難癖に過ぎない。

しかし、"私はこう思う"と言う点を抱えたまま何となくにしてしまうには惜しい経験だと思わせる作品であった事は確かなのだ。


開幕で述べたように、私はこの作品を見てかつてないほどに号泣した。感じるものがあった。それで十分なのかもしれない。

描写に正解なんてない訳だから、良いと言う人が居ればそれで満点なのだろう。

ここまで色々な指摘をしたが、結局私も「良い映画だった」と思っている事は間違いないのだ。



さよならの朝に約束の花をかざろう」を見た直後にはこのような指摘ばかりを考えていた。都合の良いように人が動いていてキャラそれぞれが生きているように感じられないとまで言っていた。

一週間経った今考えてみれば、感動的な物語の結果が映されたなら何事も出来すぎたように見えるのかもしれない。

案外出来すぎなようなぐらいのストーリーが実は非常に人生らしいのかもしれない。